top of page

明智 光秀

1528年~1582年

現在の滋賀県の武将。織田信長に仕えていたが、室町幕府の足利義昭にも使えていた。鉄砲の名人でもある。

 

織田信長の比叡山焼き討ちでは実行部隊で功績をあげ、それ以降は織田信長にだけ仕えるようになった。

 

1582年に織田信長に羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)の毛利氏の討伐の支援をするように命令されていたが、京に入る段階になって「敵は本能寺にあり」と宣言して進路を変更して織田信長が宿泊していた本能寺へと向かった。

 

主である織田信長を討ったことで「裏切り者」と嫌われるようになってしまう。さらに信長の死の知らせを聞いた羽柴秀吉が毛利討伐を中止し引き返してきたことにより、『本能寺の変』から約一週間後に羽柴秀吉と戦うことになった。

 

豊臣に敗戦して坂本を目指して落ち延びる途中に武者狩りに遭い刺殺された。

 

「みずいろききょうもん」

明智光秀の家紋。

本来の桔梗紋は水色。家紋に色がついているのは非常に珍しい。

本能寺の変以降、謀叛人の家紋として嫌われてしまった。

水色桔梗紋

bottom of page