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浅井 長政
1545年~1573年
滋賀県の戦国武将。浅井家の最後の当主。
当時同盟を結んでいた織田信長の妹であるお市と結婚し、浅井家も安泰するかと思われたが、浅井家と仲の良かった朝倉家が長政に助けを求めに来たことで、朝倉家の味方に付くことになる。
朝倉と織田の戦「姉川の戦い」で敗れた長政は拠点である小谷城を大軍で囲まれ、追い詰められる。信長に使者で降伏するように書状をもらうが断り続け、最期には城からお市と娘たちを逃がしたのちに自害する。
お市たちが信長のところへ行く際は、織田家も浅井家も一切攻撃していなかったといわれている。
逃がされた長政の娘である淀殿は豊臣秀吉の側室になり、三女のお江は徳川秀忠に嫁いでいった。浅井家は途絶えたけれど、浅井家の血は天下人に受け継がれていったのである。
「みつもりきっこうけんはなびし」
浅井長政の家紋。
鶴とともに長寿といわれる亀は目出度いとされ、亀甲紋は家紋に利用されていた。
長政は中に剣花菱が描かれた亀甲を三つ盛った紋を衣服にも使っていた。
三盛亀甲剣花菱
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